漫画とかの日記(続き)

漫画を読んで時々何かを書きます。

本を積む人

全然更新してませんでした。実際のところ、漫画を買ってもあまり読まなくなってしまった。これも歳のせいなのかわかりませんが。

今日、本屋に行ったら芦奈野ひとし先生の新刊が置いてあって焦った。自分の「漫画アンテナ」がロクに仕事をしてなかった証左だった。本日発売だそうです。初版にこだわってるわけじゃないですが、無事購入できてよかったです。

今回はどんな漫画なのでしょうか。……そうです、まだ読んでません。明日の帰りに、電車の中で読みますよ。

前作『カブのイサキ』の終わり方については、ファンの間でいろいろな憶測が飛び交いました。あまりに突然終わったので、自分も「打ち切り?でも、アフタで芦奈野先生の漫画が???」と混乱しました。

桜玉吉先生の連載を『御緩』連載終了までビームで読んでいた身なので、『カブのイサキ』のときも「描けないor描きたくない状態になってしまったのかな……」などと、勝手に勘繰ってしまったりしました。

でも、ネットでいろんな人のブログ・書評で様々な解釈を読むことができました。

芦奈野先生は『ヨコハマ』のときも読者が気になることを説明しないまま話を進め、最終回を迎えましたね。他に上手い表現が見つからないのですが「考えオチ」的な。『カブのイサキ』も。(悪い意味で書いたわけじゃないので、この後も読んでください)

自分は「考えオチ」というものに対して嫌悪感を覚えた時期がありまして。

「この漫画(アニメなど)の意味がわからないのは、自分がバカだからだ」なんて考えたこともありました。語る相手が身近にいない作品だったりすると2chとか見るわけですよ。そうすると、バカにされるわけですよ。「こんなこともわからないのか」「おまいらは○○(聞いたことも無い海外の映画監督)なんて観たことないだろw」とか。

でも、それが後になって「特に深い意味は無かった」とか「収拾つかなくなってぶん投げた」(某なんとかオンとか)なんてことが制作者側から発信される世の中になってくるわけですよ。

もうね、某なんとかオンなんて、映画館に何回脚を運んだか覚えてないくらい見て、なんとか頑張って考えてたんですよ。んで、時が経つと↑みたいなことがわかってきちゃうじゃないですか。

そんな時期があったもんだから、漫画でも映画でも自分の頭で考えるのを止めてしまったんですね。

そういったことを反省しながら、積読本を消化していきたいと思います。

書きたくなったら更新します。気長にお待ちください。

カブのイサキ(6)<完> (アフタヌーンKC)

カブのイサキ(6)<完> (アフタヌーンKC)